(一)

 

 夜半になり、公務を終えたアレクは実に久々に 月の輪に出向いた。カウンターでは館主が穏やかな笑みを見せる。

「いらっしゃいませ、フィアード様。随分とお見 限りでしたね」

「そうだったな。で、これを持ってきたのはお前 か」

 外套の下から差し出す封筒を見、ええ、と頷 く。

「直接お渡ししたかったのですが、ただの娼館の 主が、まさか宰領室まで出向くことはできませんから。お手元に届いて、何よりでございました」

 館主から城内出入りの商家の手に託された封書 は、多くの女官の手を渡ってアレクの手に落ち着いた。差出人の名はないものの、封を開けた瞬間薫った香水に、すぐに思い至る。来い――と、一言だけ書かれ た文字も見慣れたものだった。

「娼婦に顎で遣われる館主など、聞いたことがな い」

「いいではありませんか。この館は彼女で持って いるようなものです。それより、上でお待ちですよ」

 緩い傾斜の階段を上がる。娼婦は各々部屋与え られ、客の相手をする。廊下に並ぶドアには思い思いの装飾が施されていた。贔屓の客が娼婦に贈ったものだと分かる。

 奥の角部屋。ドアに薔薇の模様が複雑に彫り込 まれた一際美しい部屋が、リアートの自室であった。ちなみに、この細工をさせたのは、他ならぬアレクである。

彼 が足を止めるのと、ドアが開くのは同時だった。

「待ってたのよ、隊長さん」

 悠然と微笑むリアートはいつにも増して艶っぽ い。頬に軽くキスすると、ふんわり花の匂いが薫った。

「リアから恋文を受け取ってトンズラするほど、 臆病者ではないからね」

「あら、その割に随分遅かったものね」

「邪魔をされたくなくて、仕事をすべて片付けて きたんだ」

 どこまでも甘い恋人同士のような会話である。 こっそり二人の様子を窺っていた他の娼婦は、顔を見合わせて頬を染めた。

「ほら、やっぱりリア姐さんとフィアード様は、 まだお付き合いなさっているでしょ」

「そうねそうね。ああ、でも残念。リア姐さんの 代わりに、私がお相手して差し上げようと思っていたのに」

「あんたじゃ無理よぅ」

「何よぅ」

 若い娼婦の会話をドアで遮る。途端、リアート は苦笑した。

「あの子たち、また覗き見して。あとでよく言っ ておくから、気を悪くしないでね」

「別に構わないさ。それより、この封書の真意を 聞こうか。まさか逢瀬の誘いじゃないんだろう」

 彼女は、例え客がなくても客引きなどしない。 カナシュ一の娼婦としての矜持でもあった。

「貴方に用があるって人が来てるの」

 続き部屋に案内される。瞬間、アレクは目を 瞠った。敷物があるとはいえ床に直に据わり、ブランデー瓶を何本も転がしている男は、闇医者のヌクテである。高級娼館で会うとは思わない人物に、アレクの 眉根が寄った。

「俺になんの用だ。この前の謝礼なら、充分な額 を払ったと思ったが」

「それが、わざわざザンディから出てきた奴に言 う言葉かよ」

「五月蠅い、この酔っ払いが。単に、いい酒が飲 みたかっただけじゃないのか。用があるなら直接屋敷に来ればよかったものを」

「俺みたいなモンが出入りしたんじゃ、アンタの 評判に傷が付く。金蔓は大事にせにゃ」

「だったら、こっちに出入りする時は、もっとマ シな格好してきてくださいな」

 酒を注ぎながら、リアートがさり気にヌクテを 窘める。擦り切れ継ぎ接ぎだらけの薄いジャケットに、底が抜けそうなブーツ。館主も、彼がアレクの名を出さなければ追い返していたろう。

 外套を預け、グラスを受け取る。壁際のソファ に腰掛けた。

「女を目の前にしてお預け喰らった気分だが、ま あいい。呼び出した理由を聞こう」

 リアートが席を外そうとするのを、アレクが止 めた。魅惑的な部屋に野郎二人きりにしないでくれと、目で訴える。肩を竦め、彼女はベッドの端に腰掛けた。娼婦は部屋で聞いたことは、絶対に他言しない。 軍人よりも遥かに信用が置けた。

「この前連れてきた子のことだが、な」

 赤ら顔の医師は思い出すような目をした。

「お前さんも気付いていたと思うが、あの足…… 生えてたもんをすっぱり斬った痕だ。まあ、それだけなら別にどうってことないが、ありゃあ、いよいよ手術を施すって時だった。大人しく寝台に横たわってい た奴が、ひきつけ起こしたみたいに身体震わせてな。真っ白な顔で、怖い怖いってさ。とり憑かれたみたいに」

 必死の形相だった。逃げるように身体を縮め て、震える唇で小さく呟いていたという。「助けてとか、やめてとか、そんな言葉ばっかりだ。無理矢理薬で眠らすしかなかった。それまでやけに時がかかった が」

 眠ることにも怖がる様子を見せるケイだ。薬が 効き始めても、それに抵抗しようとしていたのかもしれない。

「手術中、足を検分したよ。切断面は相当昔のも んだったが、ありゃひでえ。足を切った道具は切れ味の悪いもんだし、傷が塞がればいいみたいな縫合の仕方にも目を疑ったね。ド素人でも、もっとまともに縫 える。何があったか知らねえが可哀相に」

 それに、と一瞬口を噤む。微かに俯いた。

「それによお、あの細ッこい身体は長いこと動い てねえ体付きだ。筋肉もない。幾ら足を切られたって、普通に生活してたらもうちっとまともに筋力はあるもんだ。それが全くないってことは……」

 動けない状況にあったということ。つまり、

「足を切断し、監禁していたってことか」

 リアートが、どことなく蒼い顔を逸らした。ア レクも口を引き結ぶ。

あ んな小さな子に、そこまでする何があったというのだ。思い出されるのは無邪気な笑顔を見せる顔と、儚さを漂わせ月を見上げた姿だった。

 湧き上がる怒り抑え込む。強く閉じた瞼を開け た時には、冷静な目をしていた。

「要らぬお節介かとも思ったんだが、一応教えて おいてやる。割り増しの金代くらいにはいい情報だったろう」

 グラスの酒を一気に仰いだ。

「――やっぱり、タダ酒を飲みに来たとしか思え ん」

 アレクのグラスは一向に減っていない。丸く溶 けた氷が縁に当たり、硬質の音を鳴らす。

 

 

 

「おかえりなさい。アレク」

 ケイはいつものように、覚束ない足取りで迎え てくれる。ぐっとこちらを見上げる顔には、大分赤みが差していた。当初の消え入りそうな雰囲気も薄れている。一緒に食卓を囲む機会も増え、無に近かった表 情も豊かになった。

「ヨーダ、また花の作り方を教えてね」

し かし、ヨーダは首を横に振った。

「今日は止めておきましょう」

「やだよ、やだっ。もう少しで一個目ができるの に」

「いけませんよ。――熱があるようです」

 最後は主を見て言う。どれ、と額に手を当て た。微かに熱い。頬が赤かったのは微熱のせいであったようだ。

「食欲もありますし大したことはないと思います が、念のために早く寝かせましょう」

「遅くまで縫い物をしているからじゃないのか」

「でしたら、坊ちゃまが早くお帰りください」

 ケイは、アレクが帰るまで寝ないのだと粘るら しい。眠い目を擦って待つも、月が高くなる頃にはすっかり夢の中だ。

 プリプリ怒る乳母に、主は苦い顔を見せた。

「女の所にも行けやしない」

「坊ちゃまっ。なんて下品なっ」

「主に向かって、ひどいじゃないか」

「子供の教育にはよくありません。これからは 真っ直ぐ帰宅してくださいませ」

「ケイは俺の子供じゃない」

「当たり前ですっ」

 なんだかよく分からない掛け合いをした後、ア レクはケイを部屋まで運んだ。窓際の椅子に座らせ寝巻きを放り投げる。着替えている間に、暖炉の薪を足した。

「そんな薄着でいると、風邪を拗らすぞ」

 薄い寝巻き一枚の身体を、毛布でグルグルに包 み込んだ。抱き上げベッドへ下ろす。毛布から目元だけを覗かせ、アレクを見上げた。

「ヨーダ、僕が風邪引いたの、怒ってる?」

 恐る恐る、消え入るような声で問う。

「怒っていないさ。あれは心配をしているんだ」

「アレクも?」

 わずか、片目を眇める。口を噤んだ。

黙 したのはほんの一瞬。掌で頭を軽く叩いた。

「当たり前だろう」

 笑う。

 少年が目を閉じた。

「皆、一緒にいてくれる。皆、優しい」

 心からの安堵の声に、アレクは訝しげに眉を寄 せた。

「……僕、ずうっと、寂しかった」

「ずっと?」

「うん。ずっと、ずうっと」

「何か、思い出したか」

 ゆるく、否と言う。

「そんな気がする。……もう独りぽっちは嫌だ よ。暗いのも、嫌い」

「灯りは消さないから。……明日も、ヨーダは来 る。花帽子は明日教えてもらえばいい」

「うん……うん」

 頷きは小さくなり、やがて消えた。規則正しい 寝息が聞こえるばかりである。

 一瞬答えに窮したのは、自分に、鍵の在り処を 探るために利用しようという気持ちがあったからだ。記憶がない今の段階で、手掛かりがあるとすれば、耳の裏のタトゥだけ。可能性を探るならば……。

 懐に仕舞った紙を取り出した。小さく畳まれた 紙には、女の手で文字が書かれている。わずかに寄った眉を見れば、それがラブレターでないことが知れる。

ラ ンプの灯りを心持ち弱め、部屋を出た。階下へ戻る。夕餉の後片付けを終えたヨーダがブランデーを用意していた。深いグラスに、濃い琥珀色が揺れる。含む と、その芳醇な香りが鼻を抜けた。

「ヨーダも、一口やらないか」

 暖炉脇で外套の繕いをしている彼女は、若い主 を横目で一瞥する。

「結構でございます」

「まだ怒っているのか」

「怒ってなどおりません。わたくしは、坊ちゃま を心配しているのです」

 ふと縫う針を止めた。片肘をついてグラスを揺 らすアレクを見つめる。目が切なげな色を湛えていた。

「坊ちゃまは、お優しい。過ぎるくらいに、お優 しい方です」

「……突然、何を言う」

「前から思っておりました。今の地位にいらっ しゃれば、必ずお心が辛くなる日が来ます」

「国軍宰領は、俺には過ぎた役官と?」

「そうではありません。坊ちゃまなら、立派にお 努めになりますでしょう。それは旦那様とは違う形でだと、わたくしは思います。旦那様は力で他を従えておりました。軍宰領として、力を誇示する必要もあっ たのでしょう。ですが、坊ちゃまは――そうなる必要はないのですよ」

「俺に力が足りないと言われているようだ」

 からかい半分、茶化して言う。怒ると思った が、反して悲しげに目元を歪めた。

「坊ちゃまは、人を愛しておられる」

 愛、という単語に、思わずむせた。目に涙が浮 かぶ。武官にはあまりに似つかわしくない言葉だ。

「何を言うんだ、ヨーダ。殺す気か」

「本気で言っております。坊ちゃまが一番に考え ているのは、民のことでしょう?」

「それが国軍の主約だからだ」

 ヨーダはゆるゆると首を振った。幼い頃、駄々 をこねた時と同じ、言い含めるような口調で言う。

「幾らそうであったとしても、民は坊ちゃまを 慕っています。坊ちゃまが想うように皆が思っていなくても、その想いは確かに伝わるはずですから。あの子の面倒を看ているのも、坊ちゃまの優しさです」

 グラスで弧を描く。ランプの灯りが反射して、 白いクロスに模様を落とした。ヨーダの顔を直視できなくなっている。

「旦那様なら、お役目と関係ないのなら問答無用 で追い出しています。冷酷になれない坊ちゃまを、わたくしは誇りに思いますよ」

「……国軍宰領としては、失格だな」

「人としては立派でございます。ですから」

 外套をパンと広げる。柔らかく畳み、アレクに 差し出した。

「どうぞ、お行き下さい」

 顔を上げる。そこに、母の顔をしたヨーダが 立っていた。彼女は何もかもを知っているのか。酒屋か娼館に行くのと同じように言われては、言われたほうが目を丸くしてしまう。

「……しかし」

「大丈夫でございます。坊ちゃまがお帰りになる まで、わたくしがあの子を見張っております。決して逃がしはいたしません」

 ――そういうことではないのだが……。

体 から力が抜けた。元より、頭で考えるのは武官の役目ではない。幸い明日は休日である。

 ブランデーを干す。喉が焼け、次に腹の中が火 を飲んだように熱くなる。外に出ることを思えば、暖の代わりになっていい。外套を受け取る。

「ありがとう」

「素直にお育ちくださって、嬉しゅうございます よ」

 腰に剣を佩びた。

騎 馬なら闇に紛れられる。赤毛の馬は飼葉の中で休んでいたが、足音に身体を起こした。

「すまないな。もう少し、頑張ってくれ」

 首を撫でる。小さく一声鳴いて、笑ったよう だった。

 冴え冴えとした月が周囲を照らす。冷えれば冷 えるほど、霧は晴れ、空気は冴える。

 馬の腹を蹴った。身体がリズムを刻む。しだい に風が頬を切った。革の手袋に手綱が食い込む。真っ直ぐにガヌーウ山脈の東の地、ライエメトへ向かった。鬱蒼とした樹林が茂り、人の手が入っていない地域 である。

ケ イにあるタトゥと似た文様を見たと、イリニエから文を貰ったのは帰り際のことだった。

三 日ほど、オーレストには珍しく豪雨が降り注いだ日があった。雨煙で前が見えないくらいの勢いで降った雨は、ライエメトに手痛い傷跡を残したのである。山脈 の裾野で大規模な土砂崩れが起きたのだ。その復旧作業中、古い遺跡のようなものが発見された。本当に遺跡ならば保存と調査が必要になる。学査から何人かの 学官が赴いた。イリニエもそのひとりだ。

やっ との手掛かりに、しかし、アレクの表情は硬い。

遺 跡らしきものが発見された場所は、古くからの王家直轄地に差し掛かった場所だった。王家の直轄地は、国軍も近付くことを許されていない所だ。故に誰も近付 けず、手付かずの森林が南の要塞をより確かなものとしている。イリニエたちの元にも、その地を汚すことならず、すぐに帰還せよと、王城から達しが来たとい う。学査官は準備が整いしだい、ライエメトを去ることに決まった。彼女はその前に文をくれたのだ。

 深夜に紛れるうちにできるだけ近付いていた い。逸る想いで馬を駆る。遠乗りはよくするが、このような強行突破は初めてだ。

 人が多い道には出ず、農道を選んで駆ける。カ ナシュを迂回しダインスタールを過ぎた。木々の数が少なくなる。もうすぐグランドール砂漠が見える頃だ。砂漠を越える前に馬を休ませようと、手綱を引い た。道を外れた場所に井戸がある。小さな東屋もあった。

 馬上から降りた。愛馬が勢いよく水を飲み干し ていく。簡易水筒にも水をたっぷり淹れる。

不 意に動きを止めた。馬の耳が左右に動く。警戒するように首を上げた。

 ガザザ。ザ。草が揺れる。

 素早く視線を這わせる。茂みの中、何かがこち らを見ている気配があった。嘶く馬の喉元を撫ぜる。睨み付ける目は茂みから外さない。

「誰だ」

 低く問う。反応はない。軽く、剣柄に手をかけ る。

「出て来い。出てこなければ、斬る」

 柄が鞘から浮いた。カンと高い音がする。闇の 中、波紋が閃いた。と、――。

「わー、ちょ、と、待って下さいっ」

 叫び声と同時に茂みが割れる。灯りの中に現れ た男に、アレクは目を瞠った。

「ネイジェスっ」

 頭に葉を付け、両手を地面に付いて命乞いをす るのは、なんと自分の文官ではないか。

「こんな所で、何をしているっ」

「カナシュで飲んだ帰りでして」

「お前の屋敷は、反対方向と思っていたが」

「いえ、その帰り際に、アレク様をお見かけした ものですから。こんな夜更けに早馬なんて、何かあったのかと」

「それでつけてきたと?」

 ぶんぶん首を振る。頭がどこかへ飛んでいきそ うだ。

「アレク様が緊急であれば、それに付き従うのが 文官としての役目です。例えどんな危険が待ち受けていようと、どこまでも共にあるのが、国軍宰領付文官ですっ」

「なら、なぜ隠れていた。堂々と声を掛ければよ かっただろう」

 アレクはまだ剣を納めていなかった。見据える 目は、恐ろしく冷ややかだ。ネイジェスも、容易に見返すことができない。身体が震えている。額が冷たい地面に擦れて、皮膚を傷付けた。一声発した時点で、 首と胴が離れてしまいそうな殺気が辺りに漂う。

「……馬鹿がっ」

 アレクが呟く。ネイジェスの腕を引っ張り上げ た。剣を納めた右手で馬の手綱を引く。

そ のまま、東屋の裏に引っ張り込んだ。

「アレク様、何が――」

「静かに」

 口を塞いだ。

静 寂が落ちる。風の音と、夜鳥の声。遠くでは獣が獲物を見付けて吼え立てている。

 その中に、何人かの足音が紛れた。最初は小さ く、徐々にこちらへ近付く。

「――居たか?」

 男の声だ。

「いいや。だが、確かにこちらから声がしたと 思ったんだが」

「お前の勘違いじゃないのか」

 木陰に遮られてよく見えないが、どうやら三人 組みらしい。道沿いの茂みを棒か何かで払っては進み、払っては進みをして進行していた。

「ここから先はグランドールの砂漠だぜ。こんな 夜中に、砂を渡る酔狂者がいるもんか」

「気のせいだったのかなあ」

 やがて引き返す三人の会話を、アレクもネイ ジェスも、息を殺して聞いていた。ちらりと見えた彼らのマントの色は、深い紺。月光を含んだ夜空を表す色だ。“月闇の群れ”と呼ばれる所以である。

 三人の士官が遠く歩み去ったのを確認し、ネイ ジェスを開放した。大きく息を吐き出す。

「どうして、隠れなければ、ならないのです」

 息継ぎ、ネイジェスは宰領を見上げる。注意深 く、視線を士官が去ったほうへと向けていた。戻って来る気配はない。その目が真っ赤に腫れていることに、アレクは気が付いた。

「泣くなよ」

 いい大人が、と呆れる。

「アレク様が悪いんですよっ」

 緊張と恐怖から立ち直るや、普段よりも幾分砕 けた調子だ。

 アレクはそれ以上、彼を責めはしなかった。黙 々と鞍を絞めなおす。

「……アレク様。何か、危険を冒そうとしている のではありませんか」

「なぜ」

「軍人が軍人から隠れる時、それは相手を敵と見 なしているということ。彼らは国軍の士官達でした。アレク様の足となり手となって働く者達です。それを敢えて避けるのは、そういうことなのかと」

 なかなか鋭い。腐っても文官である。が、禁地 へ赴くというのに、面倒はご免被るところだ。

「生憎と、今の俺は国軍宰領じゃない。任務時間 はとうに過ぎている。お前が従うべきは国軍宰領で、ただの俺に用はないはずだ」

 軽く手を振った。帰れという合図に、若き文官 は憮然とした表情をする。アレクの外套を引き、無理やり自分へ顔を向けさせた。

「心外です。私をそんな薄情な男と見ていたので すかっ。武官と文官は、互いに足りないところを補い、励まし合い、ひとつのことに向かうのが本来の姿。役目はもちろんですが、私はアレク様のお役に立ちた いのですっ」

「だったら早くここから立ち去れ。そして、何も 見なかったことにしろ。足手纏いはいらん」

 きつい言い方だが、本心だった。この夜更け に、グランドール砂漠を駆け抜けるだけでも危険なのだ。それに、

「俺は、お前を信用しちゃいない」

 言い放つその一言で、ネイジェスの顔から色が 引いた。指先から外套が落ちる。瞠った目は、大きく揺れた。

「だから帰れと言ったんだ。つけてきたことには 目を瞑る。お前もすべてを忘れろ」

 返事を待つまでもない。さっさと騎乗した。

 我に返ったネイジェスがその足に縋り付く。

「だ、駄目ですっ。私も一緒に行きます」

「ネイジェス――」

「だって――アレク様だけなんですっ。私を、文 官として認めてくれたの。私は誰のためでもなく、ただアレク様のためだけに力を尽くしたいんですっ」

 蒼い顔だが強い目をしている。上官の冷たい眼 も真っ向から見返してくる。彼がそんなふうに思っていたことなど知らなかった。奥歯を噛み締め唇を引き結ぶ姿は、何がなんでも手を離すまいと必死だった。

 このままでは馬の腹を蹴ることもできない。蹴 り放すのも気が引けた。深い溜め息が漏れる。

「――勝手にしろ。付いて来れなかったら置いて いく」

 途端、ネイジェスの顔が華やいだ。

「はいっ」

 飛ぶ勢いで、茂みの中に繋いでいた馬を引いて くる。

「さあ、行きましょう。アレク様っ」

 意気揚々とネイジェスは言った。



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