十一

 

国 軍指揮の下、不法医師はことごとく捕縛された。オーレストのどこに、こんなにも医師を名乗る者がいたのだろうかと思う。ざっと五百は超えていた。言うまで もなく、彼らの誰も、ミルマが望むものを与えることはできなかった。

 アレクは書庫の鍵を閉め、つと、窓を見やっ た。深更、蒼濃い遠くに街の灯りがある。細い月影から、雪が舞い落ちていた。足が悪いケイには辛い季節が来ようとしている。

 片眉を顰めた。窓を通して、背後のドゥイが視 線を向けてくる。

「無駄なことをしたね」

 開口し、言った言葉がそれだった。

 アレクが向き直る。

「無駄、だと?」

「違法医の取り締まりにしても、鍵の件にして も、すべて後手に回っている」

「こちらには、なんの手掛かりもないんだ。そち らと違って、形振り構っていたら上役に何をされるか分からないからな」

「ミルマ王子……少し、大人しくしてくれればい いのだが」

「無理だな」

 言下に言い捨てる。腕を組み、壁に体を預け た。

「ネイジェスから、あらかた聞いているんだろ う。奴に嘘を吐かせるのは難しいぞ」

 私官は、否とも云とも言わない。向かい合う壁 に背をついた。微笑する。

「あれの家は、元々、鑑査が役目だった」

「本来は、王子の品定めがお役目か」

「兄弟がいる場合、王座争いは常だ。彼らは正体 を隠してその傍らにあり、資質を見極める。……なんの因果か、ミルマ王子の代になって、バックネル家のネイジェスはオチこぼれだった。一応、君付けで送り 込んでおいたんだけど、まさかこんなことになるなんて思わなかったからね。……失敗だったな」

「お前の望むようにはなれなくても、あいつは しっかりやっている」

「駄目だな。望む結果を出すのが、文官の務め」

 誰にそんな見栄を張る必要がある。この男の矜 持を、一度圧し折ってみたいものだと思った。

「そういえば、学官がひとり、行方をくらませて いる。ライエメトでお前が脅した学官だ」

「ああ、イリニエのことか」

「どこに隠した」

「どうして俺が? そっちのほうが、よくご存じ じゃないのか」

「城内で起きたことは、大抵耳に入ってくる。だ が、街場は別だ」

「あの胸糞悪い女下衛に聞いたらいい。もっと も、俺が助けに行った時には、もう誰もいなかったがな」

「案外あっさり言うね。詳しくは聞かなかったけ ど、彼女は女相手でも容赦はしない。……でも、君の反応を見て得心がいった。学官は生きているな」

 ドゥイが、瞳の奥だけで微かに笑った。

「あの学官はオゥルと同じ、王宮付学官だ。オゥ ルと考えを同じくするとしても、おかしくない」

「と、いうと?」

「鍵はなぜ見付からない? オゥルが誰かへ預け たからではないか? 国外へ持ち出された気配もないしね」

「――イリニエが、鍵を隠していると」

「その可能性はある。君はライエメトで、本当に あの女を利用しただけなのか」

「鍵のことが知りたくてね」

「そうして、協力してくれた女に、手を貸して身 を隠させた」

「お前は、どうしても俺を消したいと見える」

「可能性の話さ」

 彼からわずかな苛立ちを感じた。下衛を駆使し ているにも関らず、有益な情報が得られないことへの焦りだった。彼も、 “鍵”を手に入れることが国を助ける最法だと信じている。

「国運を握る大切な鍵。――そもそも、鍵とはど ういう意味だ」

「軍宰領殿が、デキの悪い生徒みたいな発言だ ね」

「教えたところで、そちらにはなんの不利益もな いと思うが?」

「鍵を手にしていたとしても、光の波紋の力がな ければ意味がない」

「だから、こちらに鍵があっても意味がない。相 手は生きている。ダーダ・ヴェルニといっても、それ以外は明らかになっていない。一体、何が鍵として作用するのか――鍵とはどういう意味なのか」

「そのままの意味だよ。鍵は鍵だ。『光の波紋』 の力を促すもの」

「どうやって」

 ドゥイの両眼が細まった。口にして損がない か、秤にかけている。アレクは敢えて視線を外さなかった。やがて、私官が静かに言葉を次ぐ。

「彼らがどうして、ダーダ・ヴェルニと呼ばれて いるか、分かるかい」

「不思議な力があるからだろう。敬われつつも、 恐れられていたと」

「そう。彼らは力を有する。それ故に、一族はい つか滅びる運命にあった。だから人里離れた場所に隔離し、歴代の王がそれを守ってきた」

「滅びる運命にあったとは、どういうことだ」

「彼らが力を使う時、必要になるものがある。 ――己の血をもって、力の解放を促すんだよ。彼らの血には邪を払う力がある。だから、ダーダ・ヴェルニ――贄の一族、と」

 薄く、ごく薄く、笑ったように見えた。

 自分が今、平静を装えていることが不思議でな らなかった。足を失くした少年を見た時のほうが、遥かに現実味がない気がした。

 足を斬られてもなお、あの子は生きている。血 をもって力を解放するというのなら、その“血”はきっと、死を意味している。

 ミルマは、“鍵”となる前に殺せと言う。

 ドゥイは、“鍵”となって死ねと言う。

 ケイにとっての結末は、一緒だ。どちらが幸せ であるかなど、考えたくもなかった。

 動揺を観察する気でいたドゥイは、アレクの思 いの外薄い反応にがっかりしたようだ。

「もうひとつ、いい事を教えてあげようか」

 アレクの眉間に、不審げな色が浮かぶ。ドゥイ は気にせず続けた。

「ダーダ・ヴェルニは、その身を犠牲にしてまで 何かを救ってくれる、それはそれは慈悲深い一族だ。乞われれば嫌とは言わない。乞い願う者が多いほど、彼らは進んで身を投げ打ってくれるんだ。仮に、国針 を発布して『助けてくれ』と国中に伝えるとする。それを目にしたあの一族は、隠れてなんていられないのさ」

「みすみす死ぬと分かっていて、自分からは出て 来ないだろう」

「いいや、必ず現れる。彼らに生き方の選択肢は ない。国のために死ぬ。それしかない」

「なら、どうしてそうしない。さっさと国針を発 布して、ダーダ・ヴェルニを炙り出せばいいじゃないか」

「国針まで使ったら、大事になる。光の力のこと は、敵はもちろんだが、国民にも知らせるつもりはない。相手国との一触即発のその時、王が手を翳して力を呼び覚まし、敵を滅ぼす――そういう劇的な史実 を、頁に増やしたいと思ってね」

「光の波紋は、自国にも害を成すと聞いた」

「ミルマ王子だね……あのお方が言ったことは、 すべてオゥルから学んだこと。オゥルは力を脅威と位置づけていたが、そんなことはない。あれで何度、この国が救われたことか。王子は真実を何も分かってい ないんだ。見ているがいい。国針とまではいかないが――国中に文書を通達しておいた。もちろん『助けてくれ』という文句でね。今頃、道々の辻に出ているん じゃないかな」

 語る彼の目は、歪んでいた。ドゥイの中で、 ダーダ・ヴェルニは人ではない。それなのに、人にしか有り得ない感情を利用し、贄を手にしようとしている。

「文書が公布されてから四日。どんな小さな村に も、行き渡っている頃だ。どんな結果になるか、楽しみだね。アレク」

ドゥ イが壁から背を離す。

 彼の背に、皮肉に笑って応えていた。

 

 

 

 遅く帰宅すると、ヨーダとヌクテが、揃ってエ ントランスへ飛び出してきた。

「坊ちゃま、遅いですよお」

 悲鳴に近い声を上げ、ヨーダが掴み掛かる。

「どうしたんだ、いったい」

 おいおい泣くばかりの乳母を腕に、ヌクテに問 うた。表情が硬い。大抵のことは経験しているはずの男の蒼ざめた顔を見ていると、よほどのことがあったと推察された。自然、アレクの眼も険しくなる。

「ケイの姿が見えない」

 息を飲む。胸が妙に早く打った。ヨーダの肩を 両手で掴む。

「いつからだ? いつから姿が見えないっ」

「ゆ、夕方くらいからです。食事を済ませて、ひ とりで縫い物をしていたと思っていたのに……いつの間にか、姿がなくて」

「……辺りを探してもみたんだがな」

「申し訳ございません、坊ちゃまっ。坊ちゃまが お留守の間、あの子を守るとお約束しておきながら――」

 頬を、止めどなく涙が伝った。きつい言葉が出 てしまいそうになるのを、喉の奥で押し止める。ここで何を言っても始まらない。

「――俺が捜しに行く」

 見上げる老婆に、微かな苦笑を見せた。

「外へ出てみたくなったのだろう。少し歩けるよ うになったと思ったら、これだ」

 彼女をヌクテに預け、外へ出る。雪が、細かい 雨になっていた。

屋 敷から無理矢理連れ去られたとは考え難い。自ら出て行ったとするなら、範囲は限られている。あの足では遠くには行けまい。

 外套のフードを頭にかける。すぐに、黒々とし た雨染みが広がった。ケイが外へ出ることは危険だ。衛隊は、どこに潜んでいるか分からない。何より、鳩が仕掛けた文書を見付けてしまったら、鳩の思う壺 だ。

大 声で呼ばうのも憚られ、茂みの中に灯りを翳す。

ケ イは闇が嫌いだった。この瞬間に、どうしているだろう。灯りの下に居ればいい。もしもどこかで震えていたら、この灯りを見付けてくれはしないか。

家 々はどこも窓を閉じていた。家人も眠りに落ちている。細い裏路地、店先の階段の下、雨風を凌げそうな場所を見つけては、ランプを翳した。

 足が止まったのは、街の外れ近くまで来た時 だった。石積の宿屋の前に、華奢な姿がある。少年はひとりだった。本降りになった雨のせいで、薄緑のスカートが足元に張り付いている。

ほっ と胸を撫で下ろした。

「ケイ。何をしている?」

 彼は微動だにしない。訝しげに、ケイの視線の 先を追う。

 知らず、舌打ちをしていた。

 宿屋の壁に、上質の革紙が貼られている。城か らの文書を意味する蝋印が、雨に濡れて艶やかに光る。

 アレクは、半ば強引にケイの体をこちらへと向 けた。外套で体を包む。触れた手が、痛いくらいに冷たい。表情も変えず濡れそぼっていたケイは、ようやっとアレクの顔を正面から見つめた。

「アレク。お帰り」

 笑う。

ア レクはわずかに安堵した。

「散歩に出て、道にでも迷ったか」

 前髪を雨粒が伝った。掌で梳き遣って、フード を被せる。

「ヨーダがね、雨になりそうだって言うから、迎 えに来たんだ」

 それにしては、城とは方向が違う。だが、優し い心根に言うのも気が引けた。

「帰るぞ。ヨーダが心配している」

「もう、そんな時間?」

「……何時だと思っているんだ」

 手を取る。外套にすっぽりと覆われて歩くケイ は、まるで黒いお化けだった。歩みがまだ不自然だから、一歩の度に体が大きく傾ぐ。

黒 々とした空から、太い糸が垂れ流れていた。紺の軍服は濃さを増し、空と同じ色をしている。ケイとさして変わらない格好に、自嘲気味に笑みを漏らす。

 隣を大人しく歩いていた少年の足が、不意に止 まった。

「どうした?」

 聞いても応えはない。頑なにその場から動くこ とを拒絶する。前に回りこんで、膝を折った。どこまでも澄んだグレーブルーの瞳が、静かな揺らぎを見せていた。

「僕は――ずっと、暗い所にいた」

 呟く。

ア レクは、強く唇を引き結んだ。

「村に誰もいなくなって、僕だけになって…… とっても寂しかった。でも、待つのは慣れてたから……。いつもと同じく寝起きしてた。お母さんがいなくなった時も、お父さんがいなくなった時も、――僕の 番が来るまでは、そうしなきゃならなかった。いつか誰かが僕を迎えに来てくれる。僕だけを、迎えに来てくれるんだ。あの村にいた人は皆、それを待ってた。 空はいつも同じ形。こんな広い空見たの、生まれて初めてなんだあ」

 顔を上げる。フードが、頭から落ちた。頬を、 額を、睫毛を、雨が容赦なく濡らす。

 ――記憶が戻っている。

奥 歯を噛み締めた。

「やっと、僕を迎えに来てくれて、外へ出た日 ――そうだ……それから……それから」

 体が小刻みに震え始める。呼吸浅く、血の気が みるみる引いていく。見開く目は血走って、今にも叫び出すのじゃないかと思った。

足 を失くしたのは、その後のことだったのだろう。

「ケイ、ケイ――大丈夫だ」

 少年の瞼に、手を添えた。ゆるりと下ろす。反 対の手で背を撫ぜた。大きく上下する肩が、しだいに緩さを取り戻す。

再 び瞼を開けた時、彼は落ち着きを取り戻していた。

「――ずっと、暗い所にいたの。目を開けてるの かすら判んないような。声も聞こえない。誰も、いない。独りで、ずうっとずうっと――そうあることを、求められてた」

 微笑している。

「やっと、呼ばれたんだ」

 一瞬、辺りを見回していた。

ど こもかしこも闇に沈み、物音ひとつしない中で、少年を呼ぶ声などするはずがない。そうして、目に留まったのは、あの文書だった。

呼 んでいるのは、たった一枚の貼り紙だ。剥がれかかり、風にはためき、こっちへおいでと手招きしている。先に待つのは輝かしいものではない。少年にとって は、永遠の闇でしかない。

「これに従って行けばどうなるか、分かっている のか」

 幼子に言い聞かせる口調で訊ねる。ケイは頷い た。

肩 を掴む。視線を捕らえた。

「死んでしまうと分かっていて、それでも行くと いうのか。どんな状況になろうと、生きたいって思うのが人の本心だろう。お前の言葉は、真に心からのものなのか? 義務や、思い込みで言ってるんじゃない だろうな」

「でもね、アレク」

 強い口調を遮った。ちょこんと首を傾げる。

「僕らはそうやって生きてきたの。それ以外に生 きる意味なんて、ないの」

 ゆるゆると笑んだ少年には、気負いも焦燥感も ない。

 拳を握った。爪が肌に食い込む。笑う少年を、 直視できなかった。

 

 

 

 窓辺に肘を突き、ぼんやり外を眺めていたアレ クは、リアートが新しい酒を差し出すのも気が付かなかった。

「どうしたの。何か変よ」

「……たまに大人しいと、そんなに不気味がられ るのか」

 何杯目かのグラスを受け取る。今まで飲んでい た酒と違った。強いものに変わっている。さっさと酔い潰そうという魂胆か。

だ が、飲めば飲むほど、頭の中は冴えていった。

「イリニエは? どうしている」

 女を隠すには女の中が一番いい。娼館の主に頼 み込み、空き部屋にイリニエを匿っていた。主はアレクの新しい女と疑っていたが、リアートだけは事情を察してくれている。曰く、「また厄介なことに関わっ たのね」。その一言で片付けてくれるのが、ありがたい。

「最初はどうなることかと思ったけど。いかにも 真面目って感じだし。逃げ出すんじゃないかと思った。でも、彼女、変わってる」

「変わってる?」

「ええ。――あたしたちがしてることって、特に 同性に蔑まれるでしょ。嫌悪を露骨に見せられることも多いの。でもね、彼女、真面目な顔で言うのよ。自分には同じことはできないから、その苦しみは分から ない。だから、何を言う資格もないって。あの子、いっつもあんな難しく物事を考えているのかしら」

「文官は、感情よりも論理的思考で判断する」

「一概に、そうとは言えないと思うけど」

ク スクスと意味ありげに微笑する。首を傾げるアレクに対し、

「文官だって女よ。女は感情で動く時もあるの」

途 端、年上の口調になった。

「俺は女じゃないから、さっぱり意味が分からな いな」

「エセフェミニスト。ただの女好きじゃない」

「否定はしない」

 グラスの氷が崩れた。一気に呷る。額の辺りが 熱い。こめかみを揉んだ。煙草に火を点る。紫煙が揺るぐ。

「あの子、大人しく寝ているわね」

 隣部屋の広いベッドの上で、ケイが寝息を立て ているのだ。

 少年を伴って娼館を訪れたのは、夜明け間近の ことだった。娼婦たちが一仕事終え、休める頃でもある。灯りを落とした娼館を訪ねると、リアートはすこぶる迷惑そうに眉を顰めながらも、二人を入れてくれ た。

「子供をこんな所に連れて来ていいの?」

「ウチは危なくなってね」

「――その時が、来たのね」

 口調だけはさらりと。

リ アートが向かいに腰掛けた。クリーム色のドレスは、スリットが腿まで入っている。露わになるのも構わず、足を組む。

彼 女は何も聞かずに協力をしてくれると言ったが、今となってはそうもいかない。イリニエの二の舞は避けたかった。

一 通り話し終えるまで時間はかからなかった。リアートの表情は硬い。哀切の情だけが目元を赤くした。

「……記憶を封じていたのは、その時の恐怖ね。 痛みより何より、怖いって気持ちが人を殺すことだってある。そう教えてくれたお客さんがいたわ」

「死に等しい恐怖を味わいながら、それでも、ケ イは科せられたものを果たそうって言うんだ。そうとしか生きられない道なんて――重過ぎる」

「でも、あの子を必要とする文句は国中に広がっ ている。あたしだって、下衛を相手にあの子を匿える自信はないわよ」

 立ち上がり、躊躇いなく扉を開けた。隙間か ら、女が多々良を踏んで転げ入る。毛足の長い絨毯に手を付くと、放心した態でその場に座り込んだ。リアートが、何事もなかったように扉を閉める。

「こういう子もいるしね」

「盗み聞きか、イリニエ」

 笑みを堪えてアレクが言う。意地の悪い目を向 けた。

「ここへ匿ったのは危険から遠ざけるためで、娼 婦たちの素行を見習わせるためではなかったんだが」

「違いますっ……って、立ち聞きしていたのは本 当なんですが。そうじゃなくて――」

 見る間に顔が真っ赤になった。髪を切り揃えた せいで、表情には幼さが増していた。

ひ とり焦るイリニエの腕を、リアートがとった。ソファへと誘う。

「すみません……。一言、フィアード様にお礼を 言いたかったんです。あの日は、わたしが気を失っている間にお帰りになってしまいましたし……助けていただいたお礼も、きちんとしてなかったと思って」

 声をかけるタイミングを窺っていたのだと、彼 女は言った。項垂れる肩を、リアートは愛おしげに撫でている。もしも、彼女にその気があって盗み聞きをしていたのならば、もっと上手く気配を消せたろう。

ア レクも苦笑し、新しいグラスを差し出した。

「分かっている」

「……意地悪ですね」

「怒ると可愛いな」

「知りませんっ」

 彼女は恥ずかしさで頬を染め、向こうを向く。 やれやれと肩を竦めるアレクに、

「――フィアード様、鍵をどうするおつもりです か」

 逸らした視線を、足元へ落とした。

「上手く隠しきれたとしても、ダーダ・ヴェルニ として生きてきた者が、今更普通の人と同じく生活できるとは思いません。それに、周りが放っておかないでしょう。わたしだって……あわよくばと考えていま す」

 最後は消え入るような声だった。研究者にとっ ても、国にとっても、保護することが一番望ましいことは分かっている。

「俺は国が平穏ならそれでいい。だが、それをひ とりの子供に押し付けてはいけない。手前勝手に自由と意思を奪っておいて、どの面下げて国のために命を捨てろと言える?」

「そこまでして、守る理由はなんですか」

「俺は、あいつを『鍵』という名で死なせたくな いだけだ」

 アレクは思う。

ケ イの言葉の端々に窺えるのは、殉国の意志。たった十三かそこらの少年が、それをやってのけようとしている。彼の想いが、“ダーダ・ヴェルニ”として生きて きた中で形成されたものだというのなら、それは周りの都合で作り上げたものだ。

何 が正しいのかなど、大多数の声に比べれば論ずるに値しないことだった。皆、何かに縋りたいと思うことは、事実ある。

し かし、アレクは皆が思うように、割り切ることができずにいる。懸命に歩く姿も花帽子を造る姿も、眠る頬も、確かに温かい。純粋な命を奪ってまで、力を手に 入れたいと願えるものか。

 イリニエは瞼を閉じた。

「贄の一族が隔離されていた、本当の理由はそれ でしょう。情が移ってしまっては、いざという時、手を下せない。外の者と接触させないことで、一族を人外の者に仕立てたのです」

「彼らだって血を流す。感情もある。俺たちと変 わらないのに『違う』者に仕立てるなど、おこがましいとは思わないか」

 人が造ることができるのは、その命だけだ。命 の価値を作り上げるなど、許されることではない。

目 を閉じる。熱くなった内側に、冷たい空気を吸い込んだ。

ほ ろほろと、イリニエが笑う。

「わたくしは、フィアード様のお考え、好きで す」

 アレクも、苦笑した。

「利用されてくれるのか」

「わたくしに、まだ利用価値がありますか」

「充分に」

「ならば、幾らでも使ってください」

「思いがけずに、強力な助っ人だわ。ひとりでお 守りは辛かったし」

 黙していたリアートが、イリニエのグラスに酒 を注いだ。

「ひとりで二人を匿うより、二人でひとりを匿っ たほうが確実だと踏んだな」

「ただの娼婦には、荷が重いのよ」

「わたくしには、幸い王宮付文官の印もありま す。いざという時、微力にはなるでしょう」

「権威を利用するつもりとは。女は怖い」

 彼女がふっと笑った。

「この地位は自分で勝ち取ったもの。誰に恥じる こともありません」

イ リニエの頑なさは、己の力に誇りがあるからだ。

 三人の耳に、廊下を走り来る足音が聞こえた。 ドアから勢いよくまろびでた店主が、青白い顔で叫ぶ。

「軍の方がアレク様をお探しですっ。お城で何事 かあったようでございます」

「まあ。モテるわね。隊長さん」

さっ さと手を振る。内心、二人を心配しながらもアレクは、

「――すぐに行く」

 主と共に、階下へ向かった。




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