八(二)
 

 店を出てさくらが向かった先は、古着商の井筒 屋である。香上が言っていた通り甘味処の裏を行くと、その目印はあった。

塀 の先に長い竿を刺し、先に着物を下げている。近づいてよくよく見ると、着物の背に井筒屋と屋号が書かれていた。この店で間違いないようだ。

し かし、店の戸は固く閉ざされている。

「さてと、どうするかな」

こ のまま帰るには惜しいし、かと言ってずかずか入り込むのも気が引ける。思案していた彼女の耳に、賑やかな太鼓の音が聞こえてきた。

デ ン、テ、トン。

飴 売りが、でんでん太鼓を鳴らしながらこちらへ歩いて来る。

―― こいつはいい。

に やりと笑って、さくらは飴売りを呼び止めた。

「はいよっ」

 陽気な動作で、飴売りが駆け寄る。

「おじさん、いつもこの辺で飴を売ってるの?」

 せいぜい可愛子ぶってみせた。脇差を道場に置 いてきたのは、図らずしも正解だったらしい。もっともこんなところを同門の者にでも見られたら、師範代の威厳形無しである。

「そうだよ。この界隈はおいらの縄張りさ」

 機嫌良く答えてくれる。子供の無邪気な問いと 思ってくれれば、それに越したことはない。

さ くらは飴を一袋買うと、それを手にしたまま、井筒屋を指した。

「あのお店の一太ちゃんも、おじさんの飴買って く?」

「ああ。ここを通るたびに、駆け出して来てな。 『おじさん、飴ちょうだい』って」

 そう言えば、今日は出て来ないなあと、井筒屋 を見やった。一太がいなくなったという話は、まだ広まっていないらしい。

「一太ちゃん、ひとりで買いに出てくるの? お 家の人は?」

「さあねえ。金持たせて中で待ってんのか、か まってやれないのか。とにかく買いに出て来るのは、いつも子供ひとりさ。親の姿なんか見たことねえ」

 ――いつも子供ひとりで、か。

 生憎さくらは、幼少の頃は稽古稽古で、飴など 買ってもらったことがない。それでも、親が子に飴を買い与えている姿はよく見掛けた。見ていると知らず顔が緩む、和やかな光景だ。

 近くで遊んでいた子供達が、太鼓の音に集まっ て来る。そうして五、六人ほど集まると、飴屋は一本の丸棒を取り出した。棒状にした飴だった。

「さあて、何が出てくるかな?」

 太鼓を包丁に持ち替え、首から提げた箱をテ ン、テンと叩く。子供達はきらきらした目で、「金太郎!」や「お多福!」と口々に叫んだ。

 テンテンテン。飴を切りながら、調子を取る。 小さく丸い切り口から、歪な顔が次から次へと現れる。

「飴の中から金太郎が出たよ」

 飴屋の呼び声に、歓声が上がった。

 ――おもしろいもんだね。

 子供達と一緒になってじっくり見入っていた自 分に苦笑して、さくらは踵を返した。

さ て次はと見回した目に、蕎麦屋が飛び込んでくる。井筒屋の斜向かいだ。ちょうど小腹が空く刻限で、中は結構な繁盛っぷりだ。手近に空いた席を見つけると、 そそくさと腰かけた。汁粉を飲んだばかりなので腹は空いていないが、とりあえず、蕎麦を頼む。蕎麦くらいならなんとか腹に入るだろう。

 本来ならば酒と蕎麦掻でも頼みたいところだ。 後で道場に寄らねばならない身としては、酒のにおいをさせて行くのは憚られる。仕様がない。

 来た蕎麦を、なるべく時をかけて食べた。

 奥では、ここの主らしき親爺が蕎麦をうってい た。長年の慣れた手付きで、粉をしだいに丸い一塊にしていく。麺棒で延ばす調子も見ていて飽きない。力を入れ過ぎず、滑るような棒の動きだ。

店 のほうを切り盛りしているのは、どうやらおかみひとりらしい。

 蕎麦を食べ終え、ついでに蕎麦湯も腹に収めた 頃には、ようやく店も落ち着いていた。客は、さくらを含め三人しかいない。

「おかみさん」

 井筒屋について尋ねると、「ああ、ああ」と愛 想のいい笑みを浮かべて、向かいに腰を下ろした。

「うちはここに店開いて長いですから、井筒屋さ んのことも大抵は分かりますよ」

「そりゃ、助かる。あそこに、四つになる一太っ て倅がいるでしょう」

「そうそう、いっちゃん。よく顔見せてくれたけ ど。あの子、昨晩からいなくなっちまってねえ。うちにも爺さんが捜しに来たよ。本当に、どこへ行ったのか…。 迷子ならまだ捜しようもあるが、人攫いにあったんじゃ、もう無理かねえ」

「諦めるのは、まだ早い。一太を無事に見付けよ うと、役人も動いているんだから」

 その役人があの狸野郎なのが、どうにも引っか かるところだが。

 そこら辺はもごもごとお茶を濁して、

「それより、さっき爺さんって言ってたけど」

「ええ、井筒屋さんの」

「あの家には、一太の親と爺さん、一太の四人が 暮らしているのかい」

「いいえ。いっちゃんと爺さんの二人暮らしです よ。一太の親はいないんです」

「へえ」

 ずず。温くなった茶を啜る。

 話し好きらしいおかみは、ここだけの話だと、 声を潜めた。

「いっちゃんは井筒屋の一人娘の、おふきさんの 子でね。父親が誰か、分からない子なんだよ」

「分からないって?」

「おふきさん、一時家出していてさ。一年して 帰って来た時には、もういっちゃんを抱いてたんだ。爺さん、そりゃすごい剣幕で怒ったよ。『どこの男のガキだ』って。でも、なんと言われても、おふきさん は男の名を言わなかった。言ったら相手の迷惑になると思ったのかねえ。そういう子だったから。健気じゃないか」

「それで、おふきさんと一太と、爺さんの三人で 暮らし始めたんだね」

「ああ。三年前からね。頑固者の爺さんだけど、 乳飲み子抱いた娘を放り出すなんてできなかったんだよ。ま、でも子供好きの爺さんじゃないから、渋々だったんじゃないかねえ」

「馬鹿言え」

 奥から急須を持ってきた亭主が、おかみを嗜め る。さくらの湯呑みに熱い茶を注いだ。

「どこに、自分の孫が可愛くない奴がいるってん だ。爺さん、いつも仏頂面で態度にゃ出さないが、一太のことをそりゃ可愛く思ってたさ」

「だって、いつも睨むようにいっちゃんを見てる じゃないか。自分は仕事だからって、いっちゃんをひとりにしてさ」

「だからお前は馬鹿だって言うんだ。男親の気持 ちが全然分かってねえ。ありゃ、娘が帰って来て、建前で臍曲げてたのが染み付いちまってるのさ」

「そんなもんかね」

「そんなもんさ」

 得心いかない様子のおかみに呆れて、亭主は奥 へ戻って行った。

「ごめんなさいよ。うちの人、何も分かってない くせに、いろいろ口出しするんだ」

 苦笑するおかみの言葉が、ほんの少し自慢げに 響くのは気のせいではないだろう。仕方がないと思いつつ、そこもまた好いたところなのだ。

「ところで、さっき井筒屋は爺さんと一太の二人 暮しって言ってたけど、おふきさんはどうしているの?」

「……ああ」

 一瞬、眉間に皺を寄せて、視線を湯呑みに転じ た。

「おふきさん、去年の流行病で、ね。あっけない もんさ。体が弱っていたのかもしれないねえ」

「それで、一太は爺さんと二人で暮らすこと に……」

「でも、爺さんは日中店にいるからね。いっちゃ ん、ひとりで大人しく遊んでいたよ。ここに蕎麦を食べに来ることもあったけど、爺さんいつもの顰めっ面でさあ。あれじゃ、孫は懐かないよ」

「でも、一太がいなくなって捜しに来た時は、心 配した様子だったんでしょう」

「もちろんさ。あんな顔、あたしゃついぞ見たこ とないね。顔色なんて真っ青でさ、『神隠しだ。一太が神隠しにあっちまった』って」

「神隠し……」

「なんでも、庭にいたはずのいっちゃんが、 ちょっと目を離した隙に消えたっていうんだから」

 ――まただ。

 内心、さくらは思い出していた。

 浅草の壱屋で会った老人も「まるで神隠しみた い」だと言っていた。

そ して、辰巳屋から神隠しのように忽然と消えた少女。

―― なんだ? この一致は。

本 当に神隠しがあったとでも言うのか。

ま さか――。

頭 に浮かんだ愚考を一蹴する。

い くら子供だからといって、容易に消したりできるものではない。回が重なれば、何者かの意図が働いているのは目に見えている。

そ れが誰で、何が狙いなのか、今は見当もつかない。

―― なるほど。こいつは厄介だ。

香 上が手をやくのも、分かる気がする。

湯 呑みを空にし勘定を済ます。少しだけ多いその銭を、おかみはにこやかに受け取った。

「ところでさ」

 暖簾を潜ろうとしたさくらの背に、呼び掛け た。

「あんた、どこのどなた様?」

 

 

 

 長屋に戻ると、ちょうど明が総の家から出てき たところだった。さくらを認めて走り寄る。

「お帰りなさい、さくら様」

「ただいま。明は今、稽古が終わったの?」

「うん」

「そうだ。いいものがある」

 懐から飴の袋を取り出した。

「これ、あげるよ。食べきれないんでね」

「飴? こんなにたくさんどうしたの」

「ま、いろいろ教えてもらったし、これくらいは 買っとかないと……」

「教えてもらうって、さくら様、飴売りにでもな るつもり?」

 突拍子もない発想に、さくらが声を立てて笑 う。

「違うよ。ちょっと人捜しをね」

「それって、女の人?」

「いや、今日は男の子。明日は女の子かな」

「ふうん」

 明が思わせぶりに目を細めた。

し まったと思ったが、もう遅い。

「じゃあ、アタシも一緒に捜してあげる」

「いや、それは駄目だよ。たくさん歩くし、いつ 見つかるかも知れない─」

「あら、じゃあなおさら一緒に行かなくちゃ。ひ とりより二人よ、さくら様」

「駄目だったら。絶対について来ちゃ駄目だ よっ」

 駄目と言われると、したくなるのが人の性。そ のことを、さくらは失念していたのだった。

 翌日。

 そろりと長屋を出ようとしたさくらは、戸を開 けた瞬間に溜め息をついた。

「おはようございます、さくら様」

 身支度を整えた明が、にこりと笑っている。

「まさか、本当について来る気じゃあ…

「当然でしょう。さくら様のお供をアタシ以外の 誰がやるっていうの」

「遊びじゃないんだけどな」

 もうひとつ、諦めの大きな息をついた。

 明を途中でまくわけにもいかない。楽しげに歩 く少女に呆れた表情を見せながらも、さくらは彼女と並んで歩いた。

 朝に多く浮いていた雲は、時たま強く吹く春風 に流されていく。雲雀の伸びやかな声。虫を追って、雀も空に飛び立つ。日差しも暖かく、ぶらぶら歩くにはちょうどいいのだが。

 ――監視付きとはね。

 苦笑顔のさくらと、それでも嬉しそうな明。

二 人が壱屋の縄暖簾を潜った時は、昼をだいぶ過ぎていた。ちょうど客がひく頃合だったらしく、中に客の姿はない。

「いらっしゃい」

 人の気配に奥から顔を出した主人が、二人の顔 を見て一瞬、息をのんだ。

「また来たよ」

 あえて軽い調子で言う。明もにこりと会釈し た。

「これは、三峰様。いらっしゃいませ」

 さすが商売人と言うべきか。すぐに愛想のいい 飯屋の主人の顔に戻る。二人に奥の座敷を勧め、茶を持ってきた。

「それとも、お酒のほうが宜しいですか」

 さくらに対して、軽口を聞く余裕まであった。

「それじゃ─」

と、 答えた彼女の言葉尻を、

「ご飯二つにして下さい」

明 の言葉が遮る。

 主人が微笑して下がった後で、さくらが顔を寄 せた。

「ひどいよ、明」

「ご飯はちゃんと食べなきゃいけません。毎日お 酒ばっかり飲んで。体壊しちゃうでしょう」

「酒は私の唯一の楽しみなんだよ」

「でも今日は駄目です。歩き疲れてるんだし、体 に毒です」

 しっかり子供扱いだ。

「仕方がないなあ」

 本日、何度目か苦笑を漏らし、主人が持ってき た膳をありがたくいただくことにした。

 飯と味噌汁、魚の味噌煮に菜っ葉のおひたし。 匂いを嗅いだだけで腹の虫が鳴いた。朝食も取らずに出てきた身には、やはり温かい飯は嬉しい。なるほど、空きっ腹は酒よりもこちらを望んでいたようだ。少 し辛めの味付けだが、それがまた飯に合う。

「美味しいね」

 向かいの明に笑いかけた。

「でしょう。前にここのお蕎麦を食べた時、すご く美味しかったもの。だから他の料理も、きっと美味しいと思ったのよ」

「酒も美味かったよ」

「お酒の話は忘れてっ」

 そうしてじゃれ合いつつ膳を空にした二人の様 子に、微笑を湛えて主人が出て来た。二つの湯呑みに茶のお代わりを注ぐ。

「美味しかったです」

 明の無邪気な顔に、「ありがとうございます」 と会釈を返す。

さ くらのほうへ顔を向けた。

「家内がおりませんので、簡単な物でお恥ずかし いのですが」

「いや、本当に美味しかったよ。おかみさん、ま だ寝込んでるの?」

… はい」

静 かに、頷いた。

「そうか」 

さ くらは微かに眉を顰める。視線を逸らした。ほんのり爽やかな茶の湯気が、鼻先を掠めていく。

話 を切り出そうとすると、胸を締め付ける感覚が襲った。残された者の気持ちが分かりすぎる。いつも傍にいた者がいなくなる寂しさを、いやというほど、彼女は 知っている。

ど れほど会いたいのかも、知っている。

「私は今、消えた子供たちを捜しているんだよ」

 主人の顔を見上げて、言った。

 外を、鋳掛け屋が威勢のいい掛け声と共に駆け て行く。女達の笑い声が過ぎる。土埃のにおいを、風が運ぶ。

「かどわかしにあったのは、ここの娘だけじゃな い。一昨日の夜には、日本橋でも子供がかどわかされた。いなくなったのは二人とも子供で、どちらも自分の意思で消えた様子はない。周りの者が目を離した隙 に、忽然といなくなったらしい。…まるで神隠しみたいに」

─ 神隠し」

「そう。孫をかどわかされた爺さんが言ってたそ うだよ。ここで会った老人も、そう言っていた」

 主人は急須を置くと、入り口に向かった。暖簾 を外し、障子を締め切ってしまう。外の喧騒が薄れた。

「あの子が…カヨが、黙って家を出るわけがないのです。あの子は親に心配をかけまいとする、優しい子なのですから」

 知らず、暖簾を握り締める。縄が軋んだ。

「……神隠し。そう思ったほうが、いいのかもし れません」

 目を赤くして振り向いた主を見て、さくらは目 を細めた。

そ の顔に、あるかなしかの笑みがあったからだ。

「どうして……」

「神の手に導かれ、どこかで元気に暮らしている ――そう思ったほうが、救いになるではありませんか」

 思わず明が息をのんだ。彼は、最悪な事態を考 えている。

 娘を連れ去りながらなんの要求もないというこ とは、子供はすでに売られたか、─殺されたか。

 それを思うより、神の御意思によって消えたと するほうが、遥かに心が楽になる。どんなに有り得ないことでも、心が安定するならば思い込むことは容易い。

 しかし、それを認めてしまえば、ただの人がど う頑張っても立ち向かえない。

「そうやって、諦めるのか」

 険しい表情で、さくらは無言の主人を見返し た。

「馬鹿を言うな。神は、親子を引き離すなんて非 道な真似、しやしない」

 兄がそうだったように、姿を消すとしたら本人 の意思か、他人の意思かのどちらかだ。

本 人の意思ならば捜すのを諦めることもできるが、今回の一件は子供達の意思とは到底考えられない。

 幸いなことに、消えた子供の亡骸が見付かった という報せはなかった。

彼 らはまだ生きている。どこかで、泣いているかもしれない。空を見上げて親の名を叫んでいるかもしれない。

そ んな所から、一刻も早く助け出してあげたい。

「望みがある以上、私は諦めないよ」

 静かに、だが厳しい声音で言う。 

 主人の顔が、ぐしゃりと歪んだ。覆った両手か ら嗚咽が漏れる。

 明はその姿から目を逸らした。見やった彼女 は、さくらの苦しそうな表情にまた視線を逸らした。



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